文化の町倉敷には憲法9条がよく似合う〜倉敷9条の会

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   「倉敷9条の会 講演会」を開催しました。

        -----演題-----「イラクからソマリアへ」

     −名古屋高裁「自衛隊イラク派兵違憲判決」をどう生かすか−

     2009年5月10日(日) 午前10時〜12時 倉敷労働会館(2F)


inserted by FC2 system       講 師    池住 義憲 氏(自衛隊イラク派兵違憲訴訟原告団長)

       倉敷9条の会では、研修を兼ねた講演会を定期的に行なっています。

今回は上記の「自衛隊イラク派兵違憲訴訟原告団長」池住 義憲氏をお招きして講演会を開催しました。

5月10日講演会の様子

聴講者は30名弱でしたが、先生の、国に憲法を守らせようとする強い思いと、弛まぬ努力に感心させられました。
内容が裁判の話でもあり、かなり難しいのではないかと思われましたが、洒脱な話振りで、飽きさせることなく、要点と判決のもつ画期的な意味などを、分かりやすく説明して下さいました。以下は講演の抜粋です。
 ● イラク戦争はまだ終わっていない

アメリカがイラク戦争を始める時の理由の1つは、大量破壊兵器があると云う事。2つめは、アルカイダの支援国家であるという事でした。どちらも間違いでした。分かった時点で戦争を止めるべきだったが、今も占領という形で、6年に亘って続いています。異常な事態です。
 ● 竹内 行夫バッテン運動

小泉政権下で、「イラク特措法」を誘導し、拉致された人々を、自己責任だと切って捨てた、張本人が、外務省トップの事務次官だった竹内 行夫だったのです。この人物が退官後、外務省の関連団体に天下りした後、麻生政権下でなんと、最高裁判所の判事に任命されたのです。これは明らかに行政府が司法に送り込んできた刺客です。最高裁判事には下級審の人事権もあるので、憲法を無視し国民をミスリードするこんな人物が、最高裁判所の判事に留まっていては、日本の三権分立の危機です。そこで9月までには行なわれる衆議院選挙において、同時に行なわれる最高裁判所判事の国民審査投票で×をつける運動を展開しようとしています。名づけて竹内 行夫バッテン運動です。皆さんも協力して下さい。愛知県では拠点を 竹内 行夫バッテンセンター(笑い)と名づけて、活動を始めています。バッテンが50%を越えれば、罷免にできます。公職選挙法は適用されないので、何をやってもいいんです。選挙当日に投票所前でビラ配りしてもいいんです。個別訪問も、電話もOKです。皆さんもバッテン運動をして下さい。
 ● 提訴から判決まで

名古屋地裁で提訴し、2年に及ぶ裁判の途中で裁判長が交代しました。ひどい裁判長で、ウチダ ケイイチといいます。敵意むき出し、国が刺客として送ったのではないかと思っておりますが、証人尋問もせず、陳述も形通りだけで、一切無視する、時間だけが過ぎていく、むなしい裁判でした。
そこで1年間、抗議活動として、名古屋裁判所の前で、毎週月曜日の朝と夕、1時間マイクを持って語り続けました。
それは上の階の高等裁判所にも聞こえていたのです。この度の素晴らしい違憲判決をだしてくれた、青山 邦夫 裁判長も聞いてくれていただろうと思っています。その意味でウチダ ケイイチ判事、ありがとう。(笑い)
5月10日講演会の様子 5月10日講演会の様子

敗訴上告して、名古屋高等裁判所での裁判では、原告である自分たちが提出した膨大な証拠(違法な行為、事象)に対し、国側は全く反論せず、ただ「結審をお願いします。」しか云わない不誠実さがありましたが、裁判所は、証人尋問も証拠の認否も誠実に行なってくれました。
例えば、自衛隊が運んだ物や人のリストの請求の結果は、一部医療品を除き他は内容が全部黒塗りであった事実(現物のリスト3部を回覧)も 平和的後方支援 を行っているというには、秘密が在り過ぎで、裁判所に対して不誠実であり、愚弄している物でしたが提出させました。
また、イラク中部のファルージャで使用された兵器の中には、クラスター爆弾や、国際的に使用が禁止されているナパーム弾、マスタードガス及び神経ガス等の、化学兵器を使用し大規模な掃討作戦が実施され、残虐兵器といわれる 白リン弾が使用されました。白リンは水分と反応して燃える性質があり、爆発で飛び散った 白リン が衣服を残して体だけを燃やし、骸骨にしてしまう、おぞましい兵器です。建物も調度品も残りますから、後で司令部などに使用出来る、彼らにとっては便利な兵器です。私達はその証拠写真も提出しました
現在、空輸リストの開示請求をしていますが、未だ開示されません。裁判中は、自衛隊が空輸活動を実践していた時で、内容の開示は多国籍軍に迷惑がかかるというのが、黒塗りの理由でしたが、撤退した今は、何の理由もありません。これが開示されれば政権が転覆するでしょう。
  行政府のやり方に対して、完全に違憲であると示した、良識ある裁判官の判決でした。
そして、司法という、国権の三権の一つが導き出した結論は、実に重いものであるという事を、行政府も認識しなければならないはずです。
判決は主文では、控訴が却下となり、表向きは敗訴ですが、その判決理由は、原告団の提訴理由にそって判断され、イラク特措法について問題になっていた「他国による武力行使の一体化」については、政府解釈(大森内閣法制局長の答弁)の要件(大森4要件)を個別に審議し、完全に違憲であると結論付けています。
時の福田首相はこの画期的違憲判決が出た後、
「原告敗訴でしょ。違憲と云っても傍論でいろいろ云ってるだけでしょ。」
とうそぶいたけれども、司法判断はその判決理由が重要であると云う事がまったく解っていません。
国側は4年2ヶ月の間、事実認定を全く拒否してきての判決でした。全く反論していません。
「原告が上告しなければ結審され、これでは国の反論の機会が無く、法的に不備だなー。裁判所法を替えなきゃいけないなー、憲法違反だなー。」とも言ってるんです。どう思います?
この判決で画期的な事は、平和的生存権を認め、憲法9条に違反する国の行為や戦争等による被害や恐怖にさらされるような場合に、裁判所に「違憲行為の差止請求や救済を求めることが出来る」としている事です。ただ判決はこれを使わなければ意味が無く、いかに使っていくかは我々に課せられた課題です。
 ● イラクからソマリアへ

「ソマリア対策新法」による、ソマリアへの海上自衛隊の派兵はイランへの派兵よりも法的、実務的に不備が多いのです。武器の使用を認める訳ですから、海外における自衛隊の戦闘行為が発生する可能性があります。
「ソマリア対策新法」では、日本船に限らず、すべての国の船舶を対象に、海賊警備行動をする事になっています。区別のつかない、難民船や行商船や反米活動船に銃撃した場合、それらの船は国に準ずる組織に該当し、即、戦闘行為を行った事になるし、仮に海賊船であっても、自衛隊が組織的に武器の使用をすれば、戦闘行為とみなす旨、日本弁護士会自由法曹団は、そういう論理構成をやろうとしています。仮に海賊を逮捕しても、その後の手続き法は、明記されていない、不完全な法案です。
情報収集のために航空自衛隊のP3C哨戒機を出し、その基地の防衛の為に陸上自衛隊を出す事も出来る訳で、この事は共産党と社民党しか言っておらず、両党だけが言えば、かえって世論が盛り上がらない状態になっています。
 ● 判決を活かすには

自衛隊イラク派兵違憲訴訟をおこす時には、周りから、今の日本の司法に、憲法判断をさせる事は不可能だ、と云われながらも訴訟をおこし、4年数ヶ月に及ぶ長い裁判闘争で、画期的違憲判決を勝ち得る事が出来たのは、決してあきらめない事でした。
30歳で、南ベトナム在勤中に北ベトナムの勝利の日に、立会い、その35年後には画期的、イラク派兵違憲判決を勝ち取りました。足が地に着かない、体が中に浮いた様な感動を覚えました。
人生2度ある事は3度あると言います。90歳まで活動して、日米安保条約を、日米平和友好条約に替え、防衛省を平和省に、自衛隊を国内外防災協力隊に替えるような政権をつくるべく、立教大学の教員として、大学と一体となって、文科省の予算をいただいて、研究しようとしています。共にがんばりましょう!!と結ばれました。
5月10日講演会の様子 5月10日講演会の様子

池住 義憲(いけずみよしのり)さんプロフィール
■1944年6月15日、東京生まれ。
■立教大学卒業後、財団法人東京キリスト教青年会(東京YMCA)勤務。この間の1975年3月〜6月、世界YMCAベトナム難民救済・復興協力事業にワールドサー ビスワーカーとして、南ベトナム(当時)に勤務。
■1980年から愛知県日進市にある財団法人アジア保健研修財団(AHI)に17年間勤務。その間の1984年、フィリピン国立大学大学院「地域開発」修士過程修了。
■1997年から現在まで国際民衆保健協議会(IPHC)日本連絡事務所代表。
■30年にわたるNGO(非政府組織)経験をいかして、現在は、IPHCの代表以外に、フリ ーのファシリテーターとして、「参加型地域開発」「国際協力」「グローバリセーシ ョンと第三世界の民衆の健康」「保健・開発問題」「リーダーシップ・ディベロップ メント」「南北問題」「開発教育」「人権教育」「参加型学習」「街づくり」など、 要請に応じ国内外で参加型研修(ワークショプ)や講演を展開。また、南山大学・ 南山短期大学・日本赤十字愛知短期大学で非常勤講師を勤める。